2019年3月11日 広島でのアピール

さようなら原発ヒロシマ集会・原爆ドーム前アピール 


 2011年3月、東京電力福島第一原子力発電所核事故が起きた後、文部科学省はリアルタイム線量測定システム、通称モニタリングポスト(以下MP)約3千台を福島県内の学校や幼稚園、保育園、公園などに設置しました。存在してはならないはずの人工放射性物質が存在する環境で生きることになった子どもたち。その子どもたちが生活する空間の放射線量を測定し、誰でもいつでも確認できるようにするためです。

 ところが、昨年3月20日、原子力規制委員会は除染が進んだことで空間線量は低く安定している。機械の耐久年数も近づいているとの理由でMP3千台のうち2400台を、2021年3月末を持って撤去する方針を発表しました。直ぐさま私たちは「モニタリングポストの継続配置を求める市民の会」を立ち上げ、日々の空間線量を唯一目視で確認できるMPは私たちの「知る権利」を保障するものであり、それを撤去するかどうかの「決定する権利」は、無用な被ばくを強いられた中で生活している私たちにあるとして、第1回規制庁交渉に臨みました。そして明らかになったのは本当の撤去理由です。それは、2021年3月末で復興庁が終了する。よって、MP維持費用6億円も終了するということ。つまりは予算の終わりが子どもの生活空間からMPを撤去する理由だったのです。

 余りにも無責任な規制庁の方針に怒りの声が湧き上がり、県内各地で市民が動き出しました。特に母親たちが赤ちゃんを背負い幼い子の手を引いて、自治体の首長に面会し、議会に継続配置を求める陳情を起こしました。6月から県内18箇所で規制庁が開催した住民説明会全ての会場で継続を求める声があがりました。「毎朝幼稚園に子どもを連れて行くときに必ずMPの数値を確認している。廃炉作業は始まったばかり。今後何が起きるか分からない。2011年の事故では政府も県も何も知らせてくれなかった。だから次の不測の事態が起きたときには自分で数値の変化をみて、避難を決めたい」と親達は訴えました。教育者は原発事故が起きてしまった以上は、子ども達が自ら判断することを学ぶために、MPは必要だと言いました。お爺ちゃんお婆ちゃん世代は、国策によって起きた原発事故なのだから、廃炉まで責任を持って子どもや県民のいのちを守れと規制庁担当者を説得しました。

 住民の怒りと切実な訴えが、撤去の対象になっている自治体の8割近い市町村に撤去反対の意志を表明させました。そして、規制庁は、MP維持費としてこれまで通りの6億円を2019年度予算として確保することになりました。もし住民の訴えや行動がなかったら、予算は削られMPの撤去は進んでいたことでしょう。

 その一方で、7月20日の第2回交渉で、私たちは規制庁の驚くべき言葉を聞きました。撤去を大前提に話をする規制庁担当者と噛み合わないやり取りが続いた時、担当者は「今後、不測の事態など何も起きないとは言えない」と発言。私たちは「だからこそ自分で避難するかしないかを判断するために目視できるMPが必要なのだ」と反論しました。その時、彼らはこのように言いました。「再び不測の事態が起きた時には勝手にMPを見に行かないでください。それを見に行くだけで無用な被ばくをしますから。東日本大震災では情報がなかったため、避難する必要がない人までもが勝手に避難した。次に何かあったときのために、現在、福島県と県民のみなさんに正確な情報を出すシステムを作っているところです。だから、今度こそは指示が出るまで屋内退避をしてください。勝手に逃げないでください」。原発核事故が発生した場合、唯一の被ばく防護策は安定ヨウ素剤を服用し、できるだけ事故現場から遠くに避難すること。しかし規制委員会がそれとは真逆の、その場に留まれとの指示を検討していることに私たちは衝撃を受けました。

 さらに衝撃は続きました。9月26日、原子力規制委員会は東海第二原発の再稼働に向けて合格を出しました。半径30キロ圏内に住む住民約96万人の避難計画も定まっていないのに…です。そして、10月17日、更田豊志原子力規制委員長は原子力発電所周辺の自治体が事故に備えて定める住民避難計画について、事故発生から1週間で住民が被ばくする線量を100ミリシーベルト以内に抑えることを目安にしたと発表しました。これは、何を意図しているのでしょうか。私は1週間の被ばく線量が100ミリシーベルト以内であれば、避難の必要はないと説明していると理解しています。この国の法律で定められている一般公衆被ばく限度量は年1mSVです。これは安全を担保しているのではなく、被ばくの我慢量です。それが1週間で100年分に相当する被ばく量を超えなければ、避難しなくても良いとこの国は言い始めました。

 8年前、放射能が降り注いだとき、誰も被ばくしないで上手に避難することはできない現実を経験しました。緊急時に国は民を守らないことも経験しました。一度原発核事故が起きたら、国も電力会社も原子力規制委員会も、住民を安全に避難させることはできないのです。これが福島原発核事故の真実であり、教訓だったはずです。しかし、この国は不測の事態が起きても避難は必要ないと言い始めた…。これは不可能な住民避難を、まるでする必要がないかのようなすり替えです。原発事故は起きないと言われていた「安全神話」が、今や原発事故は起きても大丈夫との「安心神話」になっていく。原発核事故の被害を、次々と住民や国民の目から見えなくし、まるで核事故は収束したかのような雰囲気を作っていく。これが今、福島県で起きていることです。そして、これこそ原発再稼働への地固めになっていくのです。

 足を踏み入れてはならなかった核の領域に入り込んだ人間は、その欲と傲慢さ故に原子力爆弾、核兵器、そして原子力発電所を作りました。そしてその結末がこの広島原爆ドームであり、東京電力福島第一原子力発電所なのです。放射能汚染が広がりいのちを脅かすような世界を、私たちは次世代に残していくことになってしまいました。子どもたち、若者たちに心から謝罪します。ほんとうにごめんなさい。そして、お願いがあります。この時代を共に生き抜くために、知恵を出し合い、共に行動するパートナーになってほしいのです。この願いを若者たちに受け入れてもらうために、私たち大人には何を選び、何を残していくのかの決断が迫られています。いのちに誠実に謙虚に向き合おうとしないこの国の権力者たちに、一日でも早く退陣してもらおうではありませんか。避難先で無念の涙を流し、絶望の中亡くなった人々のいのちと尊厳を、再稼働という愚かな選択で何度も何度踏みにじろうとしているこの国の政治を司る者たちに、一刻も早く政治の場から立ち去ってもらおうではありませんか。今日ここで、明日自分が居る場所で人々と言葉を交わし、声を上げ続けることで、いのちが尊ばれる社会に近づいていく…。その希望を私たちのこの手で獲得し、これからも顔を上げて進んでいきましょう。

2019年3月11日 
                   会津放射能情報センター代表
モニタリングポストの継続配置を求める市民の会共同代表
片岡 輝美